日記 君になりたかった
懐かしい人のことを思い出したので書く。
高校生の頃、インターネットで詩や小説や絵を描いている人と仲良くなった。
私より7つくらい年上の女性で、けれど私より背が低くて、童顔で、眼鏡が似合ってて、地味だけれど整った顔立ちをしていて、折れそうなくらい細かった。当時、森ガールと呼ばれていたファッションと近い、茶系のロングスカートや大人しめのガーリーな服装をしていて、女性というより女の子、少女と表現したくなる雰囲気を持っていた。レースや植物や生き物や鉱物が好きな人で、実際そうしたものが似合っていた。
彼女の作品は抽象的で私にはよく理解できないものが多くて、それよりも彼女のブログに書かれている内容に惹かれた。
過酷な家庭環境のこと、生きていく辛さ、心理学や哲学についての難しい話、好きなゲームや音楽の話。
彼女は難しい本を沢山読んでいて、周りの誰も知らないような暗い洋楽を聴いていて、私にはその良さが分からないものが多かったけど、分かりたかった。
真似をして彼女が絶賛していた哲学の本を読んだ。ヴィトゲンシュタイン。懐かしいな。
図書館で借りたけど読み切れないものも多くて、でも自分は存在しない、時間は存在しない、という話は今の私の価値観にも影響を及ぼしている。
まあでも大体の内容はよく分からなかった。
彼女の真似をして聴いた洋楽も殆どよくわからなくて、彼女のような英語力もなくて、でもQueenAdreenaだけはサウンドが刺さったし今も好き。歌詞ほとんどわかってないけど。彼女が好きだったPretty Like Drugsは今も心がしんどい時に聴くと癒される。
彼女がどうぶつの森が好きだったから私も好きになりたかった。飽きっぽい私は何度やっても、村を作り込むところまでいかず、住民とちょっと交流して満足してしまう。
真似をすればするほど彼女にはなれないことが明らかだったのに、私は彼女と気が合うと思い込んだ。そう思いたかった。
私の親は年齢よりかなり若く見えるからよく驚かれるし、私自身もそうだ。という話を彼女がしていたから、私も時間が経ったら老けるという価値観を持たなくなった。容姿の変化と時間経過は関係ないことなのだ、と思った。
それ以前は年齢より老けて見られることもあったのだけど、この思い込みだけは現実に効果があった気がする。良い事かどうかわからないけど実年齢よりかなり下に見られる。単に若作りをしてる痛い人間と思われているだけの可能性は否めないけど。まあ老けて見えるよりいいか。プラシーボ効果的なものがあったのかもしれない。
そんなふうに真似をしていた彼女が、私を「仲の良い相手」と認めてくれたことが嬉しかった。
彼女が主催していた詩を投稿するサークルで、HPのトップに私の絵を使ってくれた。
↑その時の絵。懐かしい〜。
彼女が好きなリス園に行ったり、小さな動物園に行ったりした。
自由に触れるモルモットたちがストレスでお互いの耳などを齧った跡があり、2人でそのことを酷く悲しんだ。1匹ずつモルモットを抱き上げて膝に乗せて、ゆっくり撫でながらしばらくじっとしていた。
怯えていたモルモットたちは次第に安心して体が伸びて、気持ちよさそうにしていて大変可愛らしかった。
リラックスしてくれたからか、私たちが抱いたモルモットは膝の上で糞尿をしてしまって、笑いながら服を洗った。
私の家に来てくれたこともある。当時の実家は非常に散らかっていて、私が片付けても3日で元に戻ってしまう惨状で、そんなところに呼んでしまって申し訳なかった。
この惨状について私は彼女に伝えていたが、彼女の予想よりもはるかに荒んだ光景だったらしく、「今まで、片付ければいいのにってちょっと思ってた、ごめん」と謝られた。私の苦労を少し証明できたように思えて嬉しかった。
近所のパン屋さんで買ったケーキを一緒に食べた。こんな家で食べるのは、本当は気分の悪いことだったろうと思う。でも私はゴミ屋敷の中で、小さな美しい彼女が隣でケーキを食べていてくれることが、本当に嬉しかった。
なんだか誇らしい気持ちがしていた。
この家の中に私の居場所などないけれど、私はここに山と積まれた「可愛いから買ったけど未開封のまま放置してある荷物」と何も変わらない存在だと思っていたけど、
今ここに私は生きている、この家の中で私は自分の好きな人を呼んで好きな食べ物を買って食べて笑うことができている、ということが本当に嬉しかった。
終わりの日は突然で、共通の知り合い(Bとする)について彼女からメールが届いた。
Bと仲良くしないで。私からBを取らないで。
という内容だった。
呆気にとられた。悲しいとか辛いとか腹が立つとかよりも、なんだか呆然としてしまった。
それから、今まで私といて辛かった話も色々とされた。殆ど内容は覚えていないが、唯一覚えているのは、私のことを好きになりそうで辛かったという話だ。
あなたと初めて会った時、あなたはふわっとした服を着た大人しそうな女の子で、
とてもあんな暗い絵や文書を書くようには見えず、そこに共感したし惹かれた。
モルモットに糞尿をされても笑っていたり、鳥が客から貰った餌を食べていないことに気がついて、大きすぎるのかもしれないと小さくちぎってあげて「食べた!」と喜んでいる姿も好きだった。
でもあなたは同性を好きになる人ではないから。気持ちを抑えようと苦労した。
そんな話。
彼女がパンセクシャルだとは知っていた。
でも彼女が、私にとって神様のような彼女が、自分に恋愛感情を向けることなど想定していなかった。
勝手に神格化していたのは酷なことだなと思う。同性愛をどこか遠い世界のものと感じていたせいもあると思う。
もっと早く言ってよ、と思った。
言われていたらどうしていたというのか。
私が彼女に向けていた気持ちは恋愛感情ではないだろうし、仮にそうだとして、交際できたとも思わない。
でもそうしたかった、と思った。
彼女に強い感情を向けられることが嬉しくて、憧れの人をとにかく繋ぎ止めたくて、恋愛でもなんでもしたかった。私の彼女への気持ちは恋愛感情なのだと思い込みたかった。
無責任で酷い話だと思う。
しかし恋愛はおろか友情すら続けられなかった。
彼女は私に支離滅裂な文句を言ったあと、もろもろブロックされて縁を切られた。
あの当時の感情はもうぼんやりとしか記憶にないが、悲しみより諦めが勝っていた。
どうせいつかみんないなくなってしまう、とあの頃の私は思っていたから、特別、悲しむようなこととも思えなかった。
けれど本当は当たり前に、悲しかったのだろう。
手に入らなかった人は私の頭の中で好き勝手に美化されて、今も勝手に「エモい思い出」として文章にされて、彼女はこういうことを嫌がるだろうなと思う。
でも好きだよ。好きだよ。好きだったよ。
その後も彼女のブログはずっと読んでいて、精神状態が回復していく様子や、男にモテまくる様子、なんか良さげな人と付き合えたっぽい様子、憎んでいた親を許したような様子があって、そしてインターネットをやめると宣言があって、ブログの更新はなくなり、ホームページは閉鎖され、今検索をかけると跡地だけが見つかる。
幸せでいて欲しい。心からそう思う。
幸せじゃなかったあの頃の、思い出の中の彼女は私のものなので。現実では楽しく生きていて。辛かった分、たくさん愛されて、笑っていて。