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ライフログ 映画や本の感想 など

舟を編む

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松田龍平さんの美しさに感嘆した。無我の美しさを持った人だと勝手に思っている。
鑑賞日 20.11.07 鑑賞場所 おうち(AmazonPrime)
監督 石井裕也
製作国 日本 公開年 2013 上映時間 133
原作 同タイトル/三浦しをん
 
あらすじ
言語学を学び、本に埋もれて生きている馬締(まじめ)。
コミュニケーション能力が低く、職場でも浮いてしまっている馬締だが、辞書編集部へ異動となったことによって人生が変わり始める。
 
感想
私はこの映画の感想を、どうしても個人的な過去の話だとか経験談抜きに書くことができないので、今回はほとんど自分語りのような記録になりそうです。
 
私は小さい頃、快活で、自信家で、いわゆる「クラスの中心人物」を気取った、目立つタイプだったように思います。
それでいて、教室の隅で絵を描き、無口で、人見知りという時期もありました。
前者の快活な私は「母親からの愛と恵まれた環境によって」育まれ、後者の私は「母親からの失意と壊滅的な環境によって」育まれたもののように思います。
どちらかの私が本物で、どちらかが偽物というわけではなく、
ただ置かれた環境で生き延びる為に適した姿をしていたのだと思っています。
 
ただそれでも、なにか本心とは違う道を進んでいる時、人は今の自分のことを「本当の自分ではない」と感じるものなのではないかとも思います。
そして私は「破壊的な環境によって育まれた人格」で過ごしている時、はっきりと、「私は偽物である」と感じ、生きているという感覚を失っていったことをよく覚えています。
 
この映画の冒頭、馬締は営業というこの世で最も向いていないであろう仕事につき、叱責されて過ごしていましたが、こうした「心の向く方向と別のこと」をしている時の人は、簡単に命を削ってしまうのだと深く感じます。
そして馬締が「心の向く方向に合致したもの」と出会えた時、誰に命じられたわけでもなく自主的に仕事に打ち込み、命をかけてゆく姿は、本当に人が輝く時というのはこういう時なのだという姿を見せられた思いで、映画冒頭であるにも関わらず胸が熱くなりました。
竹おばあちゃんがいう、「あんたちょっといい男になったね」という言葉が、もっともで、胸にすっと響いて、愛おしいです。
人っておかしいくらい、心の向かないことをやりたがるというか、やらなければならないと思って生きているのに、いざ「本当のもの」になれた時に、こんなに簡単に、美しくなるのですから、人の世というのは不思議です。
 
映画の中で、馬締が「言葉」の海に溺れ、呑まれながらも、その言葉を通して「生きていくということ。自分なりに、人と関わっていくこと」を選ぼうとし、学ぼうとし、真摯になにかを得ようとする姿勢に、なんだかちょっと大げさな物言いなのですが私は泣きたい気持ちになります。
 
「コミュ障」「陰キャ」と呼ばれそうな馬締の、あまりにも不器用なコミュニケーション。簡単に笑われ、馬鹿にされ、見下される、馬締という人の中に、どれだけ純粋なものが詰まっているのか。
 
私の話に戻りますが、私は過酷な環境下で生き延びるために、「わかりにくいもの」「嫌われやすいもの」は削ぎ落として生きてきたように思います。仮にそれを内包しているとしても、表には出さず隠して生きてきました。
そうやって嘘をたくさんついて、自分を守っているつもりで、私はどんどん「偽物」になっていき、そんな自分に失望もしていました。
 
このままじゃいけないと思い、自分を取り戻す作業を始めるようになったのが数年前の話です。
自分の好き嫌いだとか本音というものが、だいぶ判別できるようになったように思います。
 
それでもこの映画を見た時、私はまだ、たくさんの「私」を取りこぼし、見失っていることを痛感しました。
例えばそれは、小さい頃、辞書を捲って新しい言葉を知ることが好きだったということです。
いつしかそれは「意味がないこと」に思え、自分の人生から捨ててしまいました。
「母親の思う素敵な人生、成功を得るため」に必要がなかった、ということなのだと思います。
 
人は、自分で何かを選んでいるようでいて、誰かに選ばされている、ということがあるかもしれません。
こう生きるべきという呪いを親や社会からかけられているから。
その呪いは事実ではなく「ひとつの価値観」であり思い込みですが、解けるまでは真実に見えます。
 
その中で、本当に選びたいものを選べることや、自分の選択に「悔いがない」と自信を持って言えるようなことは稀なのかもしれません。
だからこそ、馬締が当たり前のように言った「僕は人生を辞書に捧げるつもりです」という言葉が、あまりにも眩しくて。
 
私が、今この瞬間に、最も私らしいと思える選択を、する。本当にちいさな、日常の些細な選択でも、する。
そういうことを大切にしていれば、馬締のように、「自分の心が行けという方向」と合致した人生を見いだせるのではと思いますし、
そういうことを大切にしていなければ、見えてこない世界というものが、この映画の中にはたくさん映されていたように思いました。
馬締のことばかり書いてきましたが、私が一番感銘を受けたのは松本教授が「新しい言葉を収集する為に合コンに行った」ところかもしれません。老齢になっても青春を生きているような松本教授の輝きは、好きなことを夢中になってしているからこそのものなのだろうな、と思います。素敵。
 
ほんとうに私が私のためにこの文章を書いたので読みやすさなどはあまり考慮していないのですが、もし読んでくださった方がいらっしゃるなら、とても嬉しく思います。